【能登で魚突き】近所から貰った野菜だけでイシダイのカルパッチョ
先日サメに怯えながらもちゃっかり突いてきたイシダイ。日頃お世話になっている近所のじじばばにおすそ分けしたら逆に野菜貰って帰ってきてしまった話。
近所から貰った野菜だけでイシダイのカルパッチョ
イシダイと言えば刺身だ。この時期は脂のノリが悪いのだが、刺身でも十分旨い。やはり磯の高級魚、季節を問わず旨いのは有難い。
だが今回は刺身ではなくカルパッチョでイシダイを食べてみようと思う。というのも近所にイシダイをおすそ分けをしたところ大量の野菜を貰った為、カルパッチョを思い浮かんだからだ。
イシダイは1日冷蔵庫
イシダイは直ぐに食べても美味しいのだが、魚突きで突いた魚は鮮度が良いので直ぐに食べると身がコリコリしている。これを好む人もいるが、僕は1~2日寝かせた魚の方が好きなので、出来るだけ迅速に処理し真空に近い状態で冷蔵する。
野菜を貰うのでうちは魚をあげる
1~2日寝かせたイシダイは皮つきのまま近所に配る。全員とはいかないので日頃お世話になっている人から順に配る。我が家は裏庭に畑があるが野菜は育てていない。興味が無いわけではないが、野菜はこれでもかと近所から貰えるので自分たちで作る必要がない
魚あげたら野菜貰う無限ループ
我が家では野菜を貰っているお宅に魚を届けに行くと、野菜を抱えて戻ってくるという現象が起こる。貰うからあげる、あげるとお返しをもらう。田舎ってのはキリがない場所なのだ。
しかも「頂いたから」といつも以上に気合を入れてお返しをされるものだから、あげた以上に荷物を抱えて戻ってくる事になってしまうのだ。
田舎は野菜が大量にある
田舎のじじばばは殆どの人が畑をやっている。季節の野菜からフルーツ、何でも作るのだが、その量は一人暮らしや夫婦二人の量とは思えないほどの面積で育てている。
食べきれないのに大量に作るじじばば
子や孫にあげるにしたってそんなに要らないだろうと思えるくらい作る。一度「なぜそんなにつくるのか?」と聞いた所、「もし失敗したり不作になったら困る」と言うのだ。つまり保険の意味で多めに作っているとの事だった。
サイドメニューを提案してくるじじばば
我が家では日頃散歩の途中に声をかけられ野菜を渡される。散歩道は近所のじじばばの畑を縫って歩くのだから高い確率で遭遇する。
夕方の散歩でじじばばに会えば「あんたたち今日のごはんなんね?」と聞いてくる。「今日はカレーです」と言えば「じゃあ、ポテトサラダも作らし」と言ってジャガイモと玉ねぎを渡され、「きゅうりはそこに生えているからもっていかし」と言われきゅうりを捥いで帰る。
こんな感じで田舎では本当に野菜に困らない。
イシダイのカルパッチョ作り方
イシダイは柵にしたら薄く切る。野菜を敷き詰めたお皿に円を描くように等間隔で並べればOKだ。
頂き物の野菜を並べた上にイシダイを並べ、その上にさらに野菜をのせてドレッシングをかければ完成だ。
全て頂き物の野菜に魚も自分で突いてきたから材料費は0円。
まとめ
田舎は食費がかからない。材料は自分たちで調達出来るし外食に出かける所も少ない。
僕が昔外資に勤めてバリバリだった頃は、会社が六本木ヒルズの何階かを貸し切ってパーティーするなど大いに都会を楽しんでいた。夜景を見下ろしながらお酒を飲み、自分が裕福である事を実感していた。
幸せの尺度は華やかさであり、収入であり、暮らしの水準だったと思う。
田舎での生活は華やかさも何もないが、必要なものが何でどれ位なのかを熟知している。友人は減ったが親戚や近所の関係は少ないなりに濃い。
結局の所価値観の問題なので人に強要する事はないが、住めば都というのはそこに住む人の気持ち次第だと思う。何処に住んでも上手く行かない人は、環境ではなく自分に問題があるのだと思う。