冒険とは日常とかけ離れた状況の中で、稀有な出来事に遭遇すること

冒険を定義するのなら、「日常とかけ離れた状況の中で、稀有な出来事に遭遇すること」

僕が海に深く関わるのは、海が「日常とかけ離れた状況 」であること。

そしてその状況の中で希有な出来事に遭遇する事を望んでいるからだと思う。

つまりは冒険を望んでいるということ。

冒険心

上記を正とするのなら、僕は冒険好きだと思う。

だが冒険で飯を食っている訳ではないので、冒険家とは言えない。

例えば海で日常とかけ離れた状況を求めると海水浴程度ではあまりかけ離れた状況とは言えない。

その為リスクを考慮した上で、自身を鍛錬し経験を積んで冒険に出ている。

カヤックで未開の地を漕ぐのも、潜って魚を突くのも、山で猪を捕まえるのも冒険心の現れなのだと思う。

カヤック

カヤックは最高の乗り物だと思う。

自分の体重と同じくらいの荷物を搭載出来るし、水深30㎝あれば航行できる。

陸を歩くように一漕ぎ一漕ぎ積み重ねることで、出発地は見えなくなり目的地が見えて来る。

この過程自体が僕は好きで、見た事のない景色を見ると「ほら進んでいる、少しづつでも前進しているんだ」と心が躍ってしまうのだ。

人生も一歩ずつ確実に進んでいるはずなのに、カヤックはその一歩(一漕)が陸上での日々よりもはっきりと、そして素晴らしく感じてしまう。

これも「日常とかけ離れた状況 」のせいなのかもしれない。

パドル

パドルを海につけて腰の当たりまで来るとパドルを抜いて前に出す。

パドルは入水の時のチャプンという音と、パドルを抜いて前に出すときに水滴がポタポタポタっと海面に落ちる音がする。

この音が僕は大好きだ。

だから風が強く波が高い時よりも、オイルを垂らしたようなネットリとした海を漕ぐ方が好きだ。

チャプン。ポタポタポタ。

この音を楽しみながら無心でパドルをすると、カヤックの動きに敏感になってくる。

目的地に向けて舳先をブレないように漕ぐのが一番ロスがないのだが、海には風や潮流があり常に真っすぐ目的地にカヤックを走らせることは出来ない。

だが集中してくると風や潮流の妨げも苦にはならない。

どれくらい向きを変えられるかが分かって来るので、左右どちらかを多く漕いだり強く漕いだり、これだけ漕げば向きはこの向きと言う様に予測行動が出来、その通りにカヤックは進む。

カヤックは漕がなければ進まない乗り物なので、漕ぐのは面倒くさいとかしんどいとか思うかもしれないが、パドルという行為自体がカヤックは楽しみの一つでもある。

だから出来るだけ遠くに長く漕いでいたい。

荷物

僕のカヤックには自分の体重と同じくらいの荷物を乗せる事が出来る。

潜り道具はウェイトもウェットも持っていくし、水も食料もテントもなんでも持っていく。

中でも使用頻度の多いものは自分の座席の下や、目の前に縛り付けて置く。

僕の場合座席下にはSTANLEYの巨大な水筒だ。

これは超優れもので真夏でも家庭用の氷が3日持つ。

それ以外に使用頻度の高いものは携行食(黒糖)や磁石や地図、カメラやスポンジやポンプなど細々したものだ。

ソーラー充電器は漕いでいる間に蓄電させることが出来るので無駄がない。

これだけの荷物をもって海の上をどこでも行けるのだから不安は何もないのだ。

キャンプ

カヤックにはテントも食料もあるので何処でも好きな所で寝泊まりすることが出来る。

流木の沢山流れついているビーチや、玉石の綺麗なビーチを見つけたらそこに泊れば良い。

水も食料も何でもある。

景色を楽しみ人がいれば交わっても良い、海から来たと言えば大抵の人は優しくしてくれる。

冒険とは日常とかけ離れた状況の中で、稀有な出来事に遭遇すること

こんな生活を何日かしていると稀有な出来事に遭遇することがある。

毎回体験できるものではないが、赴けば確率は高くなる。

そこは誰もいない特別な場所だったり、一瞬の光景だったりもする。

偶然見つけた大きな洞穴だったり。

青く光る海だったりもする。

これが冒険ではないだろうか。

これが日常とかけ離れた状況の中で、稀有な出来事に遭遇することではないだろうか。

この光の下に何があるのか。

この光に包まれたらどんな気持ちだろうか。

冒険は結構身近だったりする

能登の海でもこれだけの神秘がある。

人目に触れずひっそりと昔からある自然が作り出した美しさ。

旅の途中にこんなのに出会えるからカヤック旅はやめられない。